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2012.03.10 3、11
再建2





東日本大震災1年 被災地を歩く
産経新聞


大震災1年
「例年(近くの)津軽石川に飛来している白鳥では」と住民は話している。 =10日、岩手県宮古市(大里直也撮影)(写真:産経新聞)

 目を覆うほどのがれきは各地で片付き、今の沿岸部は流された家の基礎部分だけが残る。人影はほとんど見えない。

 そんな被災地の姿も、1年が経過し、何度も足を運んでいるうちに、いつしか見慣れた風景になってしまっている自分に気がつく。その反省から、カメラをもって、もう一度、沿岸部を歩いた。

 「復興」「希望」「悲しみ」「怒り」といったキーワードに縛られず、被災地と、そこに生きる人たちの日常と、素直な目で向き合おうと努めてみた。(写真報道局 大里直也)

                   ◇

 □岩手県大船渡市

 ■3度の大津波を生き延びた

 顔に浮かんだ無数のシワが、刻んだ時の長さを感じさせた。

 今年2月で102歳を迎えた佐々木ナヲヨさん。岩手県大船渡市赤崎町、大船渡湾から約1.5キロの家に住んでいる。

 佐々木さんは明治43年生まれだ。昭和8年の昭和三陸地震、昭和35年のチリ地震、そして東日本大震災。三陸海岸を襲った3度の大津波を生き延びた。

 1年前のあの日、「今まで経験したことのない揺れ」を感じた佐々木さんは、家族らとともにすぐに高台に避難し、そこで3日3晩の車中生活をおくった。津波は家のほぼ目の前まで到達していた。

 佐々木さんが初めて津波の恐ろしさを知ったのは23歳の時だった。沿岸部近くにあった親族の家は流され、3人が亡くなった。その惨状を目の当たりにした佐々木さんは、津波のときは「高台に避難するしかない」と痛感した。以来、このことをしっかりと守ってきたという。

 「大きな地震が来たら津波を考える。海から離れていても、とにかく高台に逃げる。ありきたりかもしれないけど、これが一番」

 歴史の生き証人の言葉には、重みがあった。

                   ◇

 □宮城県山元町

 ■「少しでもきれいにしたい」

 宮城県山元町の沿岸部では、津波の被害を受けた田んぼの清掃作業が続けられている。男性作業員にまじり、泥にまみれながら、手作業でがれきやゴミの分別をしていく石島美鈴さん(23)の姿があった。

 ヘルメットに似つかわしくない茶色く長い髪に、西日が反射する。以前はアパレル関係の仕事をしていたというが「故郷(山元町)を少しでもきれいにしたいと思って」と昨年9月、志願して、この仕事を始めた。

 「こんなところには珍しいでしょ」と上司は言う。仕事は田んぼ1枚の清掃に10人がかりで約1日を要するという。周囲に遮るものもなく、雪や風も容赦なく吹き付ける。見た目以上に大変な作業である。

 自宅が津波に流されたという石島さんは、その経験もふまえ「何か役に立ちたい」と考えたという。「いつも震災のことを考えているわけではないです。仕事をしているときは忘れられますから」

 黙々と仕事をこなす彼女には、話しかけるのがはばかられるほどだった。休憩時間がくるまで田んぼの脇で待つ。ダウン2枚着込んでも東北の寒さは身にこたえた。

                   ◇

 □福島県大熊町

 ■「ここに戻ってくるつもりはないよ」

 2月12日、東京電力福島第1原発事故の警戒区域で、立ち入り制限されている福島県大熊町で行われた3度目の一時帰宅。

 「ここに戻ってくるつもりはないよ」。避難先の同県郡山市から、わが家を訪れた稲垣巌さん(57)は怒りをにじませた。「家の中も外も汚染がひどい。どうやってもう一度住めっていうんだ」

 時間が止まった町。警戒区域入り口のバリケードでは警察官が目を光らせる。商店のガラスは無残に割られ、空き巣に入られた建物もある。夏、伸び放題だった雑草は、同じ背丈のまま枯れている。

 除染作業は続くものの、放射線量は今も高い。私が持参した線量計は住民避難の目安となる毎時3.8マイクロシーベルトを上回る10マイクロシーベルト以上を示すことが多かった。いつ町に戻ることができるのか。避難した人たちに行政から満足のいく説明はない。

 「行政の判断をもう待てない。だから、戻ってこないと決めた」。稲垣さんは黙々と荷物を運び出した。

 部屋の壁にかかるカレンダーは、昨年3月のままだった。














Yahoo! JAPAN 復興支援 東日本大震災
http://shinsai.yahoo.jp/

復興にむけいろいろな方々が

頑張っています

日本人が忘れかけていた

思いやりや 優しさが

今 問われているのではないでしょうか

日本人は多々な困難を乗り越えて来たはず

不屈の精神で頑張って下さい











3、11

もう1年が経ちました

今だ復興は終わっていませんが

前を向いて頑張って下さい

被災者でない者が偉そうに言えることではありませんが

日本人として遠い九州の地でも

1年前に大変ショックを受けました

改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします

実際に岩手の友人も被災しました

幸いに命は大丈夫でしたが

彼は今年九州まで私達に逢いに来ます

遠く離れていても友情の絆は

昔のままです

困ったときこそ助け合い

本来の日本人の思いやりや優しさを

大切にして生きて行きたいと思います

1年を期にブログの書き始めを

通常に戻して行こうと思います

3月12日の夜まで出張お仕事なので

二日ほど更新できませんが

では!


















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